大きな節目

2018-08-15 | その他

 今日は、祖母の7回忌・母の3回忌・父の1周忌・新盆でした。
一昨年の8月に母が急逝し、昨年父も亡くなり、それ以外にも様々な出来事が立て続けに起きた非常事態でしたが、なんとかこの日を迎えられたのは皆様のおかげです。
ありがとうございます。

 喪中だった2年間は、よれよれの状態で「男はつらいよ」という言葉が身に沁みてわかるようになりました(笑)。行き届かないことがあったりで、ご迷惑をおかけした方には、お詫び致します。大変申し訳ありませんでした。

 両親に対しては、親孝行や命を守ることができず後悔ばかりですが、「覆水盆に返らず」で、せめてこれから喜んでもらえるよう、できることをやっていこうと思います。

 これからも、生を享けたこと、生かされていること、祖父母・両親に感謝を忘れず、日々を過ごしていこうと思います。両親が生前お世話になった皆様には、改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。


自然&景観破壊エネルギー メガソーラー

2018-08-14 | その他

 山梨県でも北杜市のメガソーラー乱立がすでに問題となっていますが、全国各地で今後大問題になると思います。
とても大切な事なので、今回はフェイスブックに投稿されていたヤブキ様の記事を以下に転載します。

『仙台市太白区の土砂崩れ。
これ、メガソーラー発電所を作った為に起きた土砂崩れです。
写真で見ると「パネルを設置した部分のみが崩れている」ことがよく解ります。
なぜ、こういう事が起きるのか?
これは、山でも平地でも同じですが「土の地面というのは、木々の根や、草の根や、土の中を張り巡っている菌糸などによって原形を保っています」。
この場所のように山の斜面に這えていた木が伐採されて土が削られて、住宅地が作られたり、道路が作らた時点で土の地面が非常に不安定な状態になっていました。これは当たり前のことなのです。
土は「塊(かたまり)」ではなく、小さな粒子の石の集まりのようなものが土です。勿論その中には、細かな植物の死骸などが腐葉土となって混ざっています。つまり「土(地面)」という「カタマリ」ではなく、細かいものの集まりで出来ているのです。
ですから、雨が降れば、それぞれがバラバラになります。コップの中に水を入れ、土をつまんで入れてみてください。バラバラになりますよね。土の粒子が細かい場合は、それが「どろみず」のようになりますよね。これが「土」が細かい粒子の集まりである証拠です。
この細かい粒子を「地面」として押さえているのが「重力」と木々や草の根と、地面の中の菌糸などなのです。
しかし開発によって、これらの繋がりを切ってしまうと、土砂崩れになるのです。
木々を伐採し草が生えないような状態にした時点でこれらがいつ起こってもおかしくない状況になっていたのですが更にそこにメガソーラーパネルを乗せたので重力によるパネルや建造物の重みに耐えきれなくなり、崩れたのです。
もちろん、先ほども書いたように、そこに「水」が加わる事により、更にその可能性が高まります。
これは、自然災害ではなく、あきらかな人災です。起きるべきして起きているのです。
全国各地で起きている土砂災害も、同じく、その多様な植物群の生態系を破壊し、針葉樹を植え、材木生産の為に山を畑化した事が原因のほとんどを占めています。
花粉症も同じです。
林野庁が国民を「緑化」という言葉で騙して、針葉樹の植林を行ってきたことが原因です。しかも、植林した針葉樹は、自然に木の種が落ち(下種更新)て自生した針葉樹の約3分の1程度しか根をはれません。ですから、植林した山は、そもそも崩れやすいのです。
針葉樹の植林は材木生産ビジネスであり、山を豊かにする活動などではありませんし緑化(落葉広葉樹の植林)などとは真逆です。
間伐しなければいけないような人工林の山を作っている事それ自体が破壊でしかないのです。
その結果、山には野生どうぶつの食べものも無くなり、住処を奪われ、どうぶつ達はドンドン人間の生活圏と接触するようになってしまっています。
針葉樹の植林と、メガソーラー発電所の建設と、畜産業の牧草地の確保、飼育場所の確保のための森林伐採も、どうぶつ、植物、すべての生態系を破壊しています。
その代償が土砂崩れと言っても過言ではありません。
つまり、これらすべて人災なのです。
問題は全て、ぜーーーーーんぶ、繋がっているのです。』

 とても残念な酷い写真ですね。


亡き父の誕生日

2018-08-13 | その他

 今日8月13日は、父が生きていれば78回目の誕生日でした。
父はいつも「俺が評価されるのは死んでからだ」と言っていましたが、ご来館いただく方の反響を見ていると、本当にそうなりそうな予感がしていますし、私にはその役割・使命があると思います。
 祖父・父・私の3世代連続出版には、祖父・父の本や作品にも再注目してもらえれば、という願いもこめています。

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