子どもの命・健康・成長が最優先 子ども達を守るのは大人の役目・責任

2020-11-19 | その他(2021年6月19日以前)

 まず、懲りずに反省も無く「1日2000人を超えた」とテレビで騒いでいますが、1週間で1730000人の患者(感染ではなく)がいた2009年の新型インフルエンザと比べれば屁でもなく、まったく騒ぐ必要はない過剰で悪質な煽り=日本・私達の暮らしを破壊する犯罪行為であることは何度も書いたとおりです。

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 私がずっと投稿を続けている理由の1つのは、子ども達が毎日毎日痛めつけられているのを1日も早くやめないといけないからです。
大人が「世間的に今は増す苦を外すのは無理」と言っている時にも、増す苦着用で子どもの心身は蝕まれているのです。

それを止めようとしない親や教師って何なんでしょうか?
教師は何のためにお金をもらっているのでしょうか?私からしたら有り得ないことです。

 私も世間的には中高年です。
若い人の自殺が増えているのも心が痛いです。若者の命を奪ったり、可能性を摘むことも避けたいです。

私が老人なら、「年寄りのことなど氣にせず、普通に暮らせ」と言います。
老い先短い老人のために、若者が自殺、子ども達の発達に障害がでたり、病氣が増えることは望みません。

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武術研究者 甲野善紀氏の投稿

Twitter(https://twitter.com/shouseikan)より

「最近は何かと言えば、COVID-19の感染が再拡大しているというニュースと、それに伴う様々な問題の報道が目や耳に飛び込んでくる。

春から夏にかけては、飲食などの自営業が大きな打撃を受けていたようだが、長引く感染防止策のため、秋に入って、会社に勤めている人達も給料の減額やボーナスの不払い決定などで、ローンの支払いが立ち行かなくなって、家を手放すといった事態も出てきているようだ。

そして、それらを報道するマスコミは、「どこも深刻な事態で大変だ、大変だ」と言うばかりで気が滅入る。その一番の理由は、この感染騒動に対する、高齢者の覚悟の無さである。

古来、長老とか古老といった言葉には、それなりの人生経験を経てきて、すぐれた智慧や生き方の範を示す人間という意味があったと思うが、このCOVID-19の感染拡大以降、それらが「死語になっていたのか」という感じしか私にはしない。

すでに何度も述べたことだが、私がわざわざ出かけていってまで話をしたいと思う人物は、40代前後が最も多く、同世代以上で私が出かけていって話をしたいと思える人は、片手の指を折る程もいない。

その理由は、今回の感染拡大を受けて、若者に対して「お前たちが動き回るから、こっちは死ぬかもしれないじゃないか」などと、なじる老人が少なからずいた、という事に表れている。

この頃つくづく思うのだが、人が人として成長していった証の一つは、年を重ねるに従い、「いつ死んでも悔いはない」という思いが、自然と育まれていたかどうかではないかと思う。

やりたい事がいろいろあり、年をとってもバリバリ活動出来ていることは結構な事だが、同時に「いつ死んでも悔いはない」という覚悟というか、ちょうど植物が花を咲かせ、実を実らせて枯れていくように、自分の死を自然な流れとして受け入れていける境地が育つことは、人として重要なことだと思う。

いま、何かと言えば「高齢者を守れ、高齢者を守れ」と言われるが、高齢者の側から「我々に気を遣って社会の流れを止めることは耐え難いので、そういう気遣いは無用にしてほしい」という発言が出て然るべきだと私は思う。

もちろん、これは私の個人的意見だが、私も71歳という高齢者に分類される年齢となり、いま最も心にかかっている憂鬱なことは、感染症の拡大よりも、あまりに劣化した(これは私の個人的見解だが)日本の老人たちの覚悟である。

どんな生物の集団でも、老いた順に消えていくのは当然なことであり、今のように、若い人達の生活を追いつめてまでも自分達が生きていたいという考えは、あまりにもおかしいとしか思えない。

まあ残念なことに、この考えに賛同する人は現在は少なそうだし、私がこうしてツイッターでこの事を言えるのも、私自身が高齢者だからで、若い人がこの事は言えないと思う。それだけに、高齢者でこの考えに賛同できる人達にもっと声を上げていただきたいと思う。

これを書いていて思ったが、昔の長老や古老と言われた「頼りになる高齢者」は、特別保護されて高齢になったのではなく、様々な環境の中で、それを乗り越えた結果、高齢になったので、何かあった時、若い人達の力になれるような智慧も身についていたのだろう。

それが、今は過保護時代になり、「保護され守られて当然」という厚かましい老人が増えてしまい、とてもではないが気の利いた高齢者は育ちにくくなってしまったように思う。

私は今この年齢で、人生最多忙の日々を送っているが、どこかで「もう3日後に人生の幕を閉じろ」と言われたら、閉じても悔いのない覚悟をしながら生きている感覚もある。年を重ねるというのは、そういう事ではないかと思う。

もちろん、これはあくまでも私の個人的見解であるが、現在の「とにかく生きてさえいることが全てにおいて最優先」という世の風潮には、人間がどんどん劣化していく兆ししか感じられない。

何とかこの時代を立て直し、もう少し希望が持てる生き方を示して、この時代を引っ張っていく人が現れることを、心から願っている。」




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