ないなら作る 自分達でなんとかする・やるという精神

2023-12-19 | 八方良しを目指して

先日、「寺子屋へ寄付のお願い」という記事を書きましたら、早速、数名の方からご寄付をいただきました。個別にお礼を申し上げましたが、改めまして応援してくださった皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました!

今回は、開園から17年目となる山梨県北杜市にある「森のピッコロようちえん」

https://mori-piccolo.jp/
の代表・中島久美子さんが出版され新刊「森のピッコロ物語 信じて待つ保育」をご紹介します。教育実践研究家の菊池省三さんと中島さんの対談も掲載されています。ピッコロは、取り組みが素晴らしいということで注目され、全国から視察に来るそうです。

いつも言っているように、子ども達・地域・日本のために私達が力を合わせて行動・実践をすることが大切ですが、とても有難く心強いことに、中島さんは、私の寺子屋立ち上げの想いや活動に賛同してくださり、私を励ましていただき、「ほんもの寺子屋」の運営にご助言もいただいています。私の能力や経験は中島さんには遠く及びませんが、想いは同じだと思っています。

講演会でもお話していますが、私達日本人に一番欠けてしまったものは、
「自分達でなんとかする・やるという精神・気概」
ではないかと思っています。
政治は、政治家に丸投げ、教育は学校・先生に丸投げ。しかし、政治家は私達・日本人のための政治をしているでしょうか?学校は子ども達のための教育を行っているでしょうか?子ども達を守っているでしょうか?3年間も間違った感染対策を続けた学校の罪、今も「間違っていた」と認めない罪は重いです。5類になりマスコミが騒がなくなったため強制はしなくなりましたが、本質は変わっていません。学校の先生は、政治やマスコミの嘘に一番氣付かなければいけない立場だと思います。子ども達を守る必要があるからです。原口真一元校長先生も仰っていましたが、「そこに氣付けない先生、氣付いていても声をあげない先生」のところに子どもを預けるのはかなり危険だと思います。学校(政治も)が変わることに期待したり時間・労力・お金を使うよりも、自分達で学校やコミュニティをやる・作るほうが早いです。特に、子ども達の教育はまったなしですから。
昔は、親と地域と学校で子どもを見守り、育てていたと思いますが、今は他人の子どもを叱れないご時勢であったり、近所付き合いがなくなっていったり、「地域」の部分がなくなりつつあります。寺子屋では善意の地元の大人(社会人)が講師になる、という近所とは別の「新たな地域」のご協力をいただいて運営しています。

中島さんは色々な保育施設にお勤めになったそうですが、ご自分の考えを実践している所がなかった。「ないなら作るしかない」ということで17年前に始められたそうです。
私も、地元や日本の素晴らしさ・伝統をきちんと教える小中学校・フリースクールがない。子ども達が様々な間違った感染対策をせずに素顔で伸び伸びと触れ合って密になって学べるところがない。学校では感染対策に限らずリニアのことや歴史もそうですが、洗脳されないところがない。「ないなら自分達で作るしかない」ということで、寺子屋を立ち上げました。

中島さんは、立ち上げの前から経験豊富な保育のプロでしたが、それでも最初の数年間はとんでもなく大変で、「もうやめる!」という時もあったそうです。
中島さんでさえそうなのですから、まだ2年9ヶ月の「ほんもの寺子屋」は課題山積・大変で当然だと思います。ほんもの寺子屋では、「十五訓」を定めていて、そのうちの1つが「継続は力なり」。ピッコロもまさに17年続けて、常に試行錯誤と改善を繰り返して今の状態を築かれました。十五訓には「すぐに結果を求めない」もあります。今の世は、すぐにやめてしまう・結果を求めることが多いようですが、ピッコロの「信じて待つ保育」は素晴らしいと思います。ほんもの寺子屋も、今は未熟ですが、5年10年と継続して、成長し続けられればと考えています。
中島さんの新刊から、感銘を受けた文章と私の感想をご紹介します。



「言葉で指示せず保育する。見ているだけ、子どもの言いなりになるだけでは自由保育はできない。大人がどこを見てどんな願いを持って彼らと接しているか、要は人間性みたいなところで勝負。保育も子育ても大人が試されている」
→「保育も子育ても大人が試されている」というのは重い言葉で、同意です。

「私の心に誘導の気配があると、子どもは正直な気持を話さない」
「何を聞いても理由を話してくれないクラスを作ってしまったのは、私の中に答えがあったから」
→勉強になります。

「心は揺れて大きくなる」
→深いですね。

「子どもは正しくて、子どもを濁った大人が育てている。大人は子どもに対して謙虚になったほうがいいが、それは甘やかすともへり下るとも違う。」
→大人は子どもに対して謙虚になる、これは特に親として足りていないように思います。

「大人は子どもをもっと見た方がいい。何を考え、今どんな気持ちかということをもっと想像する。子どもを尊重するということは甘やかすことではなく、0才児から気持ちがあり、懸命に生きているということを理解すること」
→これも深いですね。尊重と甘やかしを取り違えていることも多いように感じます。

「子どもたちはつられるのが一番悪いと言った。つられるというのは、自分で考えず、本質を見ずに流されるということ」
→今の日本はつられる大人が多過ぎます(間違ったコロナ対策で証明されました)。それが一番悪いと。鋭いですね。

「大人も早く「自分だけ」と「他人事」をやめないと」
→その通り!

「年長児になると我慢や自己犠牲ではなく、納得して譲ることができるようになる」
→ピッコロ、凄すぎます。

「早く迎えに来てくれた、よそのお母さんをどんなに羨ましそうに見ていたことか」
→乳幼児期の母親との時間はとても大切ですね。

「保護者はお客さんではない」
→ほんもの寺子屋も同じ考えです。



中島さんと菊池さんの対談では、現在の学校・教育の問題点が指摘されています。
学校が良い教育をしていれば、寺子屋を創る必要はありません。義務教育の弊害は、低学年の子ほど悪影響が大きいと考えています。

「(学校の)先生達自身に「本当の育ち」についての経験がない」
「こんな子どもを育てたいというゴールイメージを持っていない」
間違い=X、違い=Xということを小学1年からずっと刷り込まれている
違ってていいじゃない。違っている方が面白いよ。新しい考えだね、という視点が教師にない。教科書どおりに進めて、正解をなぞるだけの授業。面白いはずがない。
明るい崩壊、と呼んでいる状況。子ども達は悪さをすることもないので、淡々と進んでいきます。でも一人ひとりの個が確立していない
違いを出し合ってみんなで考えるという経験を積んでいないと、大人の世界では対応できない。教育に一番大事なものを見失っている
「足型に閉じ込めようとする学校に子どもの未来はありません。完全にアウトです」
正解、不正解の問いばかりで、責められることが続くから、嫌いとか、どうせ私なんかというような心待ちになっていってしまう
英単語は覚えていても、一番根幹の、人に対する興味とか、共同体としての意識のようなものが全くありませんでした。恐ろしいなと思います。
道徳でさえも、「○か×か」が求められ、正解主義になっている。この積み重ねの中で負の空気を読む子が増えていっているのではないか
以上は、菊池さんのご意見です。
「「人間を育てる」という仕事のはずが、教科書の内容を教える仕事に狭められている」(中島さん)

「幼稚園でも保育園でも、どういう教育をしていきましょう、という話を職員間でした記憶はありません。(中島さん)
→寺子屋では毎月話しています。

「大人の役割として、色々な経験ができる場をつくり、その場に置いてあげるということが求められている」(菊池さん)
→まさに寺子屋がやっていることなので、嬉しくなりました。

「子ども時代のことも含めて、プラスで見るという基本的な部分を自分の中にもっていないと、大人になってからの考え方、生き方として、本質的にはなかなか変わることができない。」(菊池さん)
→物事の受け止め方が大切だと伝えています。同じ状況でも悪く考える人と良く考える人がいます。同じ状況でも受け止め方・考え方で未来が変わってきます。

「分からない時にどうすればいいか。人に会って話を聴くか、本を読むしかない」(菊池さん)
→私とまったく同じです。人の話を聴くこと。読書はとても大切ですね。

「素直さというものがないと、何を聞いても自分のものにはなっていかない」(中島さん)
→素直さも大切ですね。

「不真面目な先生が、もう少し学校にいてもいい」(中島さん)
→同感です。

「毎日、小言を言うのか、「立派な人になるんだろうな」と思って見ているのでは、子どもたちの成長においても大きな違いがでるのではないか」
→これは親御さんの心・氣持ちがとても大切だと思います。

「昔は保護者の方が若い先生を育てていた。保護者の方々にもバックアップしてもらうということが先生方の意識の中に普通にあった。いい意味で頼ったり、お願いしたりという関係があった。」
→寺子屋でも、保護者・講師も成長しながら、みんなで創り上げていくことを掲げています。

「自由でも相手に伝えてはいけないことがある。やりたい放題とは違い、本当の自由は難しい。」
→自由とは「何でもあり」ではないということ。

「いけてない保育を通りすぎないと今の保育はできなかったが、かつて担当した子ども達には心から申し訳ないと思っている。」
→中島さんでさえ、こう思われているということ。教育の難しさを感じている日々で、改良・成長を続けていこうと思います。

「子ども達は「先生は怒るのが仕事」や「先生が怒れば怒るほど、いい人が増える」とも言う。
幸せなのは何で?と聞いたら「怒られるから~」と言った。「怒られるといい人になれるから」「怒ってくれてありがとう」とまで言うようになる。私は「叱る」を「向き合う」に近い意味で捉えている」
→やはり、ピッコロすごいです。

深~い現実のお話が色々と書かれている中島さんの新刊、お勧めです。
私の店でも購入できます。

※ほんもの寺子屋では寄付を募集しています。
応援してくださる方は以下にお願い致します。

ほんもの寺子屋 山梨中央銀行 貢川支店263 普通771566


戻る