原口真一先生の新刊

2024-01-29 | 社会評論

小学校・中学校の元校長・原口真一先生は、昨年10月29日の本間真二郎医師・炭師原伸介さんと私、3人のコラボ講演「第2回自然に還ろう」に特別ゲストでご参加いただき、終了後もお話を伺い私も色々と勉強をさせていただきました。
新刊「なぜコロナ禍でもマスク自由を推奨したのか ~校長・教員の安心が学校を支える~」を出版されましたので、早速拝読しました。本の中で私が以前推奨した本「ワクチンの境界」國部克彦著、本間真二郎医師の「ワクチンよりも大切なこと」も引用されています。日本中の教師、他の大人も読まれることをお勧めします。くれぐれも、アマ損(八方塞がり)ではなく、地元の本屋さん(八方良し)でお求めください。

原口先生とお話した時に思ったのは、日本中の学校の校長が原口先生のような方であれば、私は寺子屋を創る必要はなかった、ということです。なぜなら、「「学校経営上のほとんどのことを決定する権限」校長に与えられている」(著書より)ので、適切な判断・指導ができる人が校長であれば、今のように不登校が30万人なんていうことにもならず、マスクを外せなくなるなんていう子もおらず、接種して犠牲になった子もずっと少なかったはずです。

重要と思ったところを抜き出してみます。

「今回のパンデミック騒動が残した傷跡は、特に子ども達にとってはとてつもなく深いものだった」
「マスクを外せない子ども達を生み出してしまった大人の責任は重い」
→まったく同感です。この罪を大人は認識し、子ども達に謝罪し、危険で弊害がとてつもなく大きい対策をいいかげんにやめなければいけません。

「重要なことは、自分でとことん調べ、考えた先で「最適解」を導く努力を重ねてきたか、ということ」(感染症対策に関して)
→多くの国民がこれを怠りました。

ほとんどの学校で行った感染対策は、
「子ども達の成長を支える上で最も基礎となる「自己肯定感と他者尊重の育成」と真逆の取り組み」

「健全な教育環境とは真逆の状況」
だったと書かれています。

「生徒が何としてもマスク着用を受け入れられなかったのは、予防効果があるとかないとかそんな表面的な問題ではなく、人としての尊厳に関わる大きな問題だったからです。」
→マスクを強制する側に、「相手の尊厳を守る」という観点はありません。

多くの教員や他の生徒達が問いを捨て、思考停止していく」
→考えることの大切さや考える力を養うべき学校の教師が思考停止では教育どころか弊害でしかありません。

「学校現場で繰り返されてきた「禁止の連続」です。私たち人間にとって、極めて非人道的なものでした。すなわち「近寄るな」「触れるな」「しゃべるな」。子ども達の生きる意欲がどんどん削り取られていったとしても何の不思議もありません。結果、子どもの自殺や不登校が激増していきました。」
→洗脳と虐待が行われてしまいました。

「失われた3年間をきちんと振り返ることもせず、「終わったこと」「なかったこと」にして前に進むのは、大変危険」
「(欧米より)はるかに長い間マスクを強いてきて、今なお「個人の自由」という消極的な発信していない日本で、このまま検証もせずに前に進むのは、大人としてあまりに無責任ではないでしょうか」
→これもとても重要で、私は実際に学校の先生方に、「間違った対策をして申し訳なかった」と子ども達に謝罪することが必要です。そうでなければ今後もマスクを外せない子がいなくなることはないでしょう」と伝えています。

「マスクに感染拡大予防の効果がない事を証明した論文は山ほどあって、信頼性や推奨度において最高位にあるシステマティックレビューにおいて、感染予防に対するマスクの優位性は、一度完全に否定されています。一方で、健康な人間がマスクを長時間着用することで生じる弊害も明記されています」
→私が書き続けてきたことですね。

「時間がかかって遠回りに見えても、結局は「子ども達の教育」こそが、明るい未来を切り拓くための最も近く確かな道」→同意です。だから寺子屋を創りました。

「個人の思いや人権がどんどん損なわれていく」
→人権侵害・憲法違反の横行、これは恐ろしいこと、あってはならないことですが、戦時中の過ち(大本営発表・全体主義・同調圧力)が繰り返され、ファシズムが起きました。

「ほとんどが無症状や軽い症状の子ども達に、極めて曖昧な検査で出した結果を根拠に隔離することで、貴重な学びの機会を奪い、心に深い傷を負わせるような対応を大人達が強いてきた」
→あってはならないことですが、日本中でこれをやりました。

子どもに「風邪をひいてはいけない」とひかせなかったり、アルコール消毒は、共に子どもを弱くしてしまうことも書かれています。

原口先生のFB投稿です。
『コロナ騒動が始まった当初から、教育に長く携わってきた者なら「こんなことを続ければこういう結果になる」なんて、普通の感覚でわかったはず。そこから先は、多くの(気付いていたであろう)教育者、特に管理職が「現場を預かる者として何がどうできるか」を真剣に模索し行動すべきでした。
しかし、実際には「気付かない」あるいは「気付かないふり」をする方がいかに多かったか。
目の前の子ども達と直接関わる現場の教育者は、国がおかしな方向に流れそうになったときでも「最後の砦」になれる・・・何十年もかけて戦前~戦中のことを振り返ってきた中でよくわかっていたはずです。
そして、その「最後の砦になれること」こそがこの職業最大の魅力だったはずなのに、そうした魅力を全て投げ捨てるのと引き換えに子ども達が犠牲になったとしたら、なんと悲しいことでしょう。
「あなたは何のために教育者の道を選んだのか?」多くの教育者全員に聞いてみたいです。』

私が寺子屋創設を検討し始めたのは9年位前からで、日本の学校教育には様々な問題・弊害があると考えていたからで、それが感染騒動で、すべて浮き彫りになったと思います。騒動は落ち着きましたが、いまだにマスクの先生が多かったり学校の本質は変わっていません。
この本が多くの教師の方々に読まれ、教師・学校が変わって、子ども達に良い環境・教育に変わることを望みます。

大人が変わり、立ち上がり、行動して、子ども達を守ることが必要です。
私は学校を変えることに時間と労力を割くよりも、自分達で学びの場を作ることを選択し、実践してきました。

「寺子屋へ寄付のお願い&生徒募集中」




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