「新しい生活様式」の正体

2020-05-18 | その他(2021年6月19日以前)

 以下は、石垣稔さんの記事です。
「政府やメディアを中心に連日喧伝されるコロナ禍の情報は、情報社会が牽引する「情報禍(与えられる情報による災い)」の情況を創出しています。そして、自分の力で情報を見極めることなく、正しい情報を選択することができなくなってしまった人は、与えられる情報を妄信し、不安や恐怖に苛まれ、次々に同調圧力者や相互監視者に変貌してしまうようになりました。
 
京大の研究グループの試算では、この過剰なまでのコロナ禍への社会的対応(過度の自粛など)により、日本における年間自殺者の累計数は、14万人から 27万人増加するとの推計が報告されています。
 
今回の新型コロナウイルスで死亡したとされる方は、これまでに 670人(クルーズ船の13人を含む、5月12日午前11時現在)です。
対して、インフルエンザで観ると、「直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念という推計で計算されるインフルエンザによる日本の年間死者数」は、約1万人(厚労省データによる)とされています。
 
これだけ観ても、冷静、かつ客観的に思考すれば、現在のコロナ禍騒ぎは「誇張された異常な事態」であることに氣付くはずです。
 
人のいのちはかけがえのないものです。
ここで判断を大きく見誤ると、本当に大切なものが奪われ、失われ、再び復活をすることが出来ないまでに社会は追い詰められ、数多の人を死に追い込むことになります。
 
政府を代表とする行政機関は、法のもと、公共の目的を実現するために存在しますが、これが既に正しく機能していないことは誰の目にも明らかです。かといって、政府の愚策が最終的に人のいのちを追い込むわけではありません。政府は常に、私たち国民が「滅びを司る当事者」となるよう、環境を整えるのです。
 
つまり、究極の非常事態を造り出すのは、こうした情況下で同調圧力者や相互監視者に成り果てた人であり、よかれと考えて行っている発言や行動が社会を滅ぼし、その果ては自分自身の首を自分で絞めることに帰着します。
 
これはまさに集団自決を煽動しているに他ならず、ここに正義は何ひとつとして存在しません。
すべての人は、この社会の当事者です。
現在の社会をどうしていくかは、このコロナ禍の当事者であり、本来の民主主義の主権者でもある私たちひとりひとりの行動にかかっています。
 
▼管理社会へと誘導する「新しい生活様式」
 
最近、新型コロナウイルスの拡大が全国的に抑えられる傾向となってきたところで、政府の専門家会議から「新しい生活様式」と呼ばれる暮らし方が示されました。この生活様式は、再び感染が拡大しないよう、長丁場に備えるためなどと、最もらしい理由付けがなされていますが、その内容は管理社会の確立に向けた「国民管理手法」そのものです。
 
具体的な内容を観ていくと、3密(密集 密接 密閉)回避を基本として以下のようなものになっています。
 
【「新しい生活様式」の概要(抜粋)】
 
▽感染防止の3つの基本

 ①身体的距離の確保
 ②マスクの着用
 ③手洗い
 
*人との間隔は2m(最低1m)空ける
*遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ
*会話をする際は可能な限り真正面を避ける
*外出時、屋内でも症状がなくてもマスクを着用
*会話をするときは症状がなくてもマスクを着用
*手洗いは30秒程度かけて水と石けんで丁寧に洗う
 (手指消毒薬の使用も可)
 
▽外出、移動、買い物について

*感染が流行している地域からの移動は控える
*感染が流行している地域への移動は控える
*発症したときのため誰とどこで会ったかをメモにする
*公共交通機関の利用時は会話は控えめに
*買い物は通販の利用も推奨
*買い物は1人または少人数で空いた時間を推奨
*買い物ではサンプルなど展示品への接触は控えめに
*電子決済の利用(現金を使わない)を推奨
 
▽外食、食事について

*食事は持ち帰りや出前、デリバリーを推奨
*食事は屋外空間を推奨
*大皿は避けて料理は個々に
*食事は料理に集中し、会話は控えめに
*お酌、グラスやお猪口の回し飲みは避ける
*食事は対面ではなく横並びで座る
*冠婚葬祭では多人数での会食は避ける
 
▽娯楽 スポーツ等

*公園は空いた時間や場所を選ぶ
*筋トレやヨガは自宅で動画を活用
*ジョギングは少人数で
*すれ違うときは距離をとるマナーを
*予約制を利用してゆったりと
*狭い部屋での長居は無用
*歌や応援は十分な距離かオンライン
 
▽働き方のスタイル

*テレワークやローテーション勤務を推奨
*時差通勤を推奨
*オフィスは広々とした空間を推奨
*会議はオンラインを推奨
*名刺交換はオンラインを推奨
*対面での打ち合わせは換気とマスク
 
 
このような専門家会議で示された「新しい生活様式」は、海外では「New Normal(ニューノーマル)」と呼ばれ、さまざまな業種・業態の形を変えようとしています。
 
 
▼なぜ管理社会への誘導なのか
 
前述の「新しい生活様式」が、当たり前の社会になった世界を想像してみてください。背筋が寒くなるような印象を受けるのは私だけでしょうか?
 
人間の表情には、喜怒哀楽をはじめとする感情を伝え、人と人との交流をこころの通ったものにするための重要な役割があります。これを常にマスクで封印し、相手との距離を置き、対面を避け、座るときも横並び、会話は控えめになどという行為は、確実に人と人との間の溝を拡げ、互いの理解や信頼関係の構築とは、ほど遠い情況を造り出します。
 
表情の見えない相手から、本音を読み取るのは難しいものです。
マスクの常時着用が「マナー」とされる世界では、ビジネス上のトラブルや、人間関係の破綻、さらには犯罪行為までもが増えて行くことは避けられません。
 
こうした生活様式が「マナー」とされるようになると、確実にコミュニティや仲間、家族までもが分断され、そもそもひとりで生きて行くことができない人間は、孤独への不安から何かにすがりつこうとして体制に大きく依存するようになります。既に、示された実践例の中には「すれ違うときは距離をとる“マナー”を」とまであり、「人との距離を取ること」が「マナー」であることの刷り込みがはじまっています。
 
食事についても、会食は人的交流や親睦を深め、人間関係をより強くするための重要な意味がありますが、この大切な機会を喪失させようとしています。
これだけでなく、地域間の移動、人が集まる娯楽やスポーツ、果ては遊びや学びの機会までもが、「三密を避ける」という掛け声のもと奪われているのです。
 
この背景に隠されているのは、事実上の「集会の禁止」であり、憲法違反であることも言うまでもありません。
 
民主主義は人民が主権者であり、その人民が本当の力を結集するためには、密接な交流を行い、互いを理解し合い、力を合わせて連携や連帯をしていくことが必要不可欠です。そのための機会を奪うということは、現在の日本は事実上の「全体主義国家に移行している」ということの証左です。
 
 
▼完全管理を容易にするネット社会
 
それでもネットがある、と考える人も多いことと思います。
既に、テレワークを導入した事業所では、インターネットを使ったビジネス上の重要情報のやり取り、映像会議システムを使った打合せなどが一般的となり、ネットの一般利用では、お店での飲食ができなくなったことによるネット呑み、ネット葬儀、ネット講演・勉強会など、インターネットを媒介したビジネスや人的交流が急速に拡大しています。
 
ここでまた冷静に思い返してみていただきたいのですが、インターネットは、そもそも軍事目的でペンタゴン配下の研究所が開発したものです。そうではないとする説も見かけることがありますが、それでは「エシュロン」や「プリズム」のような大盗聴システム(諜報システム)の存在をどう説明すれば良いでしょうか?
 
これまでは必要な情報のやり取りを中心としたネット利用がなされてきましたが、このコロナ禍では、人の繋がりを求めるためにネット利用する形(ZOOMをはじめとする映像会議システム)が激増しています。
つまり、今まで以上に「日常的な感情(本音)の吐露」がネット上で行き交っているということです。
 
これに加えてこの「新しい生活様式」でも推奨されている、買い物の「電子決済」が主流になると、AI技術が進歩している昨今では、容易に個人の消費行動や経済状況、さらには思考傾向、思想、性格をはじめとする「人格そのもの」や、人間関係までもがほぼ完全に分析・把握されるようになり、標的を設定すれば、その相手の発言や行動を抑制したり、大衆操作をすることも決して難しくはありません。
 
 
▼コロナ禍の正体
 
このように、現在の「誇張されたコロナ禍」は、市民間の対立と分断を促進し、管理社会を造り上げるための虚構であると言っても過言ではありません。
 
「アフターコロナ」などという、またも聞き慣れない横文字を多く見かけるようになりましたが、以前の投稿にも書いたとおり、本来の非常事態時には、誰もがわかる言葉で説明をすることが最も重要です。
それにも関わらず、「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」「ソーシャルディスタンス」「ステイホーム」などの新しい横文字が次々と現れるのは、事実を伝えたくない、事実を隠蔽したい、改ざんしたい、という“善意なき資本(支配されている為政者を含む)”のこころの現れです。
最早、躊躇している時間は残されていません。
 
このコロナ禍が、社会のあり方に対して禍根を残すことになるのは、現状で避けられない現実です。ある意味では、その禍根こそが誇張されたコロナ禍の正体であるとも言えます。
 
このコロナ禍が造り出す世界の愚かな加担者とならないためにも、このような愚挙としか言えない生活様式を否定し、顔の見える繋がりを大切にし、こころと笑顔が伝わる当たり前の生活を取り戻さなければなりません。
 
そのためにも、ひとりひとりの本当の氣付きと意思表示、そして行動が重要な時です。私たちには、意志を持つ力、意志を示す力、意志を伝える力があります。

すべての人、誰もが当事者であることを忘れないでください。」

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