前回の記事のとおり、講演翌日の9月1日、帰路で体調を崩し、3回SAで車を降りて横になり(車は荷物で横になれないので、1回は救護室のような所、あとの2箇所は救護室がなく、ベンチや椅子を並べて(この2回のSAスタッフの人の冷たさには驚き、日本も終わりか、とまた思った))、通常の倍の時間をかけて、八ヶ岳の美術館までなんとか辿り着きました。
翌2日は甲府に戻る予定でしたが、体調があやしかったので、38度の甲府に戻るのはやめ、涼しい八ヶ岳で身体を休めることにしました。
夜になり少し良くなり、1日の昼以降、ちゃんと食事を取れていなかったので、夕食に行ったところ、幸運が待っていました。体調を崩していなければ夜は甲府にいたので、出逢えなかった出逢いです。
奇跡的に79歳(昭和21年生まれ)の女性社長と同席させていただくことになり、色々と良いお話を伺えたのです(若い美女に会うよりも幸運!)。
「米国は、日本と戦争をして、次に戦争をしたら日本には勝てないと思った。だから、日本の強さを研究し、強さを潰す戦略を立てた。」
「要であった母親を家庭から抜いて(女性が外で働くようにした)、子どもを不安定にした。
日本の母の愛情は世界一だった。手間ひまかけることを厭わない。報いを求めず、ひたすら家族に尽くす」
「お父さんが偉いと思うお母さんを育てないとダメ。母親が父親をバカにするからダメ」
「作るということは簡単にはできない。準備から完成の喜びを知ることが大事。覚えろ、暗記の教育はダメ」
「今の親は、子どもに生まれた時の話をしていない。生まれたときに両親や周りの人がどんなに喜んだか、子どもに話すべき。命の素晴らしさに氣付いてほしい」
「今は母親は子どもをペットにしている」 「ここまで世の中が狂ってしまうとは」
ズバズバと、もし私が書いたら炎上するような直言も伺いました(笑)。
寄ってたかって発言を叩く、「右翼」「左翼」などレッテル貼りをする、それにより、思ったことや考えを言えなくなる、これこそが危険であり、今の日本はそうなっているわけで。
他人を「差別主義者」「排外主義」と言っている人が、感染騒動の時、素顔の人を差別し、入店拒否などしていました。
我々が反省しなければいけないのは、戦前や戦時中ではなく、今です。
世界一長い歴史を誇る日本。今が一番ダメでしょう。何が?
「精神」「生き方」が、でしょう。もちろん、私自身も未熟ですし、自由なんですが。しかし、何でも自由にしたら国は滅びます。国が滅びれば生きていけない、生きていても奴隷になる可能性が高い。私も含め、もう半分奴隷になっていると思います。奴隷にされないためには、知って、考えて、行動する必要がありますが、多くの人がそれをやっていません。
感染騒動の時、感染しないために生きている大人が多かったこと。
老人を守るために子ども達を犠牲にしました。やっていることが、逆でしょう。子ども達・日本の未来、どうなろうが知ったこっちゃない、自分達が生きているうちは何とかなるでしょう、という中高年も多い。
自分の考えや思いよりも、他人からどう思われるかが優先、という人が異常に多いのも日本です。
女性社長も
「何のために生きるか」「価値観」というお話をなさっていました。
命=時間、を何に使うか、どう生きるか。
私は、日本・子ども達を守る、日本を元氣にする、ために命を使うと10数年前に人生の目的を定めました。
身の危険を心配されたことも何度もありますが、死なないために生きているわけでないので、、。
命を懸けてでも、商いに影響が出ても、どう思われようが、やるべきことはやる。言うべきことは言う。譲れないものは譲れない。ならぬものはならぬ。今の時代、馬鹿ですかね。嫌われる。
「覚悟」「立派」という言葉を聞かなくなりました。
危険を冒さなくなったんですね。事なかれ主義ということでしょう。
「日本が守るべきものは傳統と自然と文化と日本語」であり、傳統とは、先人・ご先祖様の智慧・技術・工夫・精神。
しかし、今の日本人は、日本の傳統・自然・文化・日本語が、いかに素晴らしく、いかに価値があるもの=足元の宝か、わかっていません。明治維新からGHQ、「欧米のほうが進んでいる。素晴らしい。かっこいい」と洗脳され続けてきたので、守ろうとしない。横文字だらけ、外国製のものばかり買い、親を「お父さん、お母さん」ではなく、「パパ・ママ」と呼ぶ。完全にやられています。守るべきもの・大切なもの・宝をどんどん捨て、破壊し続けてきたのです。
だから講演を続けているわけですが。
私の母親世代でありますが、お若い現役社長に勇氣をいただきました。
他にもお話を伺い、自分という人間の小ささに恥ずかしくなりました。
やなせたかしさんも69歳でブレイク!
まだまだ頑張らんと(笑)。