私の著書「八方良しを目指して」に「面倒くさいという言葉は禁止したほうが良い」と書いています。
なぜか?
もし「子育て面倒くさい」と皆が言って、誰も子どもを産まなくなれば人類滅亡します。
子育ても農作業もそうですが、世の中の大事なことほど、手間ひまや時間がかかるものだから。「面倒くさい」という言葉で、「大切なもの・こと」をたくさん失ったと思うからです。
すぐに結果を求めることで、辛抱や忍耐(我慢ではなく)もできなくなっています。
こんなことは書かないほうが格好良い、と承知の上で、同志と運営している「ほんもの寺子屋」のことを書きます。
創立から継続し5年目ですが、教師の経験も学校運営の経験が無いド素人(私)が立ち上げたので、ま~大変ですし、ふう~(笑)。明後日も会議ですけれども、授業する時以外にも運営のために多くの時間も割かないといけません。代表としても講師としてもお金はもらっていませんが、ここに書けないような目に遭ったこともあり、損得やかかる時間を考えれば、絶対にやっていられません。損得優先の人から見れば、「バカじゃないの」「有り得ない」という話です。
それでも自分のことを後回しにしてでも、辛いことがあっても続けているのは、義務教育の現状・問題を知れば、義務教育以外の学びの場は子ども達・日本の未来のためにとても重要、かつ絶対に必要、モデルケースとなり全国各地に増えていくように、と考えているからです(生徒募集中)。
もちろん、続いているのは有能な共同代表や協力してくださる講師・顧問・相談役・保護者の皆様、ご寄付をしてくださる皆様あってのことで、感謝しております。
「八方良しを目指して」には
「手間のかかることでも面倒くさがらずにやるのが日本人の良さ」
「手間をかけることに価値があり、大事にしたり感謝する氣持ちが生まれる」
とも書いていますし、講演会では、
「手間ひまをかけられることが豊か」とお傳えしています。
今は、手間ひまをかける、時間や心・お金のゆとりが無くなってしまった=昔よりも貧しくなったんですね。
「八方良しを目指して」の出版記念講演の時に言ったように、「すべては仕組まれている」ので、「早い・安い(実際は高い)・簡単・便利・損得」が優先、追い求める。それに慣らされていく、のも計画的に為されたことだと思います。
安全や健康(=命)・精神・環境・循環・本物を優先し、損得を超えて動く大人が増えるように。ずっと転換を訴えています。
