寺子屋大人版講師の中野さんのFB記事から。
早川奈穂子さんの文章(添付)について、述べられています。
『なんと時代錯誤なと、おしかりを受けるだろう』
すぐに炎上したり、叩かれる時代だから、皆、意見を押し殺す。
そういう意味で、それを覚悟で書いてくださるのは貴重です。
『日本人はウエットだから、優しさ、他に対する配慮を優先させてしまう傾向がある』
コロナの時は、思いやり〇〇〇〇、などこれを悪用されました。
『ウエットとドライを使い分けるというセンスを失った。皆、牙を抜かれた良い子となってしまった』
同感です。
『男だ、女だ、などと分断し、対立することはナンセンス。平等という前提には対立がある』
男性と女性は役割が違う、
という「普遍的な事実」が言えない世の中は怖いと思いますし、対立することはナンセンスなのに、対立している場面を見ます。
「男女平等」「子どもの意思を尊重する」
など、誰もが反対しづらい綺麗な言葉には注意しなければいけないと思います。
「意思」なのか「意志」なのか?
意思ではなく、”欲望”や”我儘”、”自己中心的な考え”ではないのか?
見極めが必要です。「意志」は尊重すべき、”我儘”を許せば、甘やかしになります。
『「いのちの仕組」から離れるということは、すなわち衰退衰亡』
どんな時代でも変わらない普遍的な「いのちの仕組」から離れているのが現代かと。それが色々な問題を起こしているのではないでしょうか。
コ口ナの時に、大人の男性達が「仕方が無い」を連発し、女性や子ども達を守ろうとしなかったことに愕然としました。中野さん流に言えば、「学校狂育の成果」なのでしょう。
以下、中野さんのFB記事です。
『昔から日本人はウエットだから、優しさ、他に対する配慮を優先させてしまう傾向がある。
これは、身内どおしだと良きことだが、他者に対する配慮よりも、自己の利益を最優先させることを是とする大陸のドライな人々に対しては弱さになってしまう。
この点の認識、意識が低いので問題となっているのだろう。
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昔は、村の外の人間は他者だったから、国内でも時と場合により切りかえていただろう。
しかし、明治天皇一神教により天皇の赤子とされ、日本全体を村としフラットとしてしまったため、時と場合によりウエットとドライを使い分けるというセンスを失ってしまった。皆、牙を抜かれた良いことなってしまった。
これを家畜化ともいう。
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のっぺらぼうな優しさといえるだろう。
そして互いに寄り添い合うという美名の元、もたれ合い、同調し合うという社会にしてしまった。
家督小屋に飼われる悪しき同質である。
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まずはこのようなセンスを植え付けてきたということを理解、省み、狂育を監視し、変えなければならないだろう。
そのためには、子らを学校狂育に丸投げし、依存しないという覚悟が必要だろう。
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そして、女と男とは役割が異なるのだという自覚を培い、子らに仕込むことだろう。
男は、故郷を、女子供を守る、いのちの継承を守るための存在だという意識の涵養だ。
女は、いのちを繋ぐ存在だという自覚の涵養だ。
それが男女の本質、本懐だろう。個としての存在の前に、種としての存続があるのです。
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などと書くと、男女平等の時代になんと時代錯誤なと、おしかりを受けるだろう。
そのような思いをいだいた人は胸に手を置いて考えてほしい。
いのちあるものに、自然の産物にオスメス平等ということがあるかということを。
男女平等とは?、性差とはなんなのかということを。
そのような問いを煮詰めず、男女平等を標語的に用いても何の意味もない。
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女がいて男がいて、子が生まれる。
産む主体は女。
男は見守ることしかできない。
その主体を守るのが男の役割。
これがいのちの本質。
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子(いのち)を産み守り育むものと、いのちをかけ母子(いのち)を守るものがいる。
これが「いのちの仕組」。
そして、子らは母が望んだ世界を創るためにいのちを捧げ、あとに続くものに引き渡すのだ。
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男女平等なんていう理念理想、という格好良いが、ありもしない嘘っぱちを教え込まれ、鵜呑みにし信じてしまうから、「いのちの仕組」からどんどん離れて行く。
「いのちの仕組」から離れるということは、すなわち衰退衰亡。
いのちの仕組に立ち返れ、ということが「母性よ甦れ」ということなのです。
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男も女も、子を守り育てるものだから、父性なんて言ったって、それは拡大母性ということ。
父性とは、男の母性のことなのです。
男は子を産めぬ身体故、文明を創り出し、文化遺伝子・ニームを伝えようとする。
それとて、母が望む世界を創るため。
そのために、男は時と場合によっては暴力を用いることも辞さない、いのちさえ捨てるのだ。
それが漢だ。
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すなわち、母性、父性など別ける必要はない。
男だ、女だ、などと分断し、対立することはナンセンス。
平等という前提には対立があるということなのです。
いのち・子に対するベクトルは同じ、同じ方向を向いているのです。
それぞれの性に与えられた役割を果たせば良いのです。
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現代社会の抱える問題の本質は、守る力、母性の劣化にあるのです。
それが国の抑止力の劣化にもつながっているのです。
我が子を守り育むという心魂、母親魂、父親魂が失われている。
この魂さえ取り戻せば、物理的な抑止力はいかようにでもなる。
故郷を守る、子らを守るという、大和撫子、大和男の子という魂の甦りこそ、最大の抑止力となるのです。
その魂は、肚に宿るのです。
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肚の座った大和撫子、大和男の子を産み育てるのが日本的母性なのです。
親父は、男の子を漢とするのです。
そのための率先、模範を示すのです。
いのちがけで。』