「子供を飢えさせる勇気」/日本の一番駄目なところ

2026-07-04 | 八方良しを目指して

上記の一つ目の題名は、成願義夫氏のFB記事の一文です。下記に全文紹介しますが、重要なのは、

日本社会再生のカギは、子供達の野生をいかにして取り戻せるか(建築家安藤忠雄氏)
→図らずも、寺子屋大人版の講師中野裕司さんも「野生の身心」「野生の時に即した子育て」について、お話していただくことになっています。

洞察力、自立心、工夫する力、判断力、勇気、想像力は、「何も与えられない時間」の中でこそ育まれる
不安と隣り合わせの、本当の意味で自由な時間と場所を与えること
努力して得たものには、感謝が生まれる

親が持つべき勇気は「子供を飢えさせる勇気」
→今、スマホゲームを与え、間逆のことをやっています。
私と前田さん、ほんもの寺子屋の共同代表二人ともスマホを持っていません。

私が「日本が終わっている」と思う理由のひとつは、子ども達の異常なスマホ所持率です。海外では規制があるのに、日本はない。子どもの脳の発達や目に悪影響なものを親がわざわざ与えているのですから。これから目の病氣失明が激増する。子どもと大人は違う、という重要なことをほとんどの大人が絶望的に分かっていません。ヤバイと思わないことがヤバイ。親が、①適切な判断ができない ②子どもを守れない ③子どもを駄目にする国、未来がありますか?
だから、ほんもの寺子屋の顧問相談役の方が、「まず親の教育をしないと駄目」と仰るのです。寺子屋大人版を始める、私も全国で大人向けの講演会を13年続けている理由です。

スマホゲームユーチューブSNSなどは、依存性や中毒性があり、悪影響が分かっているのですから、本来、スマホは、アルコールやタバコ同様、20歳以下は禁止したほうが良いと思います。「国民教育の師父」と謳われた森信三先生は、テレビでさえ駄目と仰っていたのですから、今のデジタル機器など、もっての他です。最低限持たせるなら18歳以上、もし高校生に持たせるとしても、購入費用と毎月の支払い、本人にさせるべきです。それが払えないなら、持たせない。そうすれば所持率は劇的に下げることができるでしょう。
一般的な学校は、子どもがデジタル機器を持っている前提で運営されたり連絡がきたりします(これも同調圧力強制)ので、それも駄目な点です。
有史以来、20年前頃まで何千年何万年と、スマホを持っている子どもはゼロでした。親が自分の子どもに人類史上初の人体実験をさせている、今が異常なのです。コ口ナワクの子どもへの人体実験に反対する人も、スマホの子どもへの人体実験は反対しません。

日本の一番駄目なところは、
①周りがやっているからやる、周りが持っているから持つ
②同調圧力をかける、同調圧力に簡単に屈する
義務教育の駄目なところ、同調圧力が強い、どころか強制ですね。コ口ナのマスクがそうですし、いまだに理不尽おかしな校則や決まりが多い。それに黙って従う人間が大量生産された結果、99%マスクという超異常な世界を生み出したのです。
「周りがマスクを外したら外します」という人がいました。大人になっても自分の考えを持っていない。海外であれば、とても恥ずかしいことで、こういう大人が多いのは日本の恥ずべき点でしょう。「周りが外したら外すということを公言したら恥ずかしい」という意識がないことが、さらに恥ずかしいです。

周りがどうであろうと、「そのこと自体が良いか悪いかを自分で判断した上で選択する」、大人が増えないと、日本は良くならないでしょう。多くの「今の常識」や「今の当たり前」は間違っている(例・熱が出たら解熱剤など)のですから。

「子どもたちに最も与えるべきものは、便利さではなく、「自ら考え、生き抜く力」
→ほんもの寺子屋の目的と合致。だから、寺子屋はデジタル化を推進しません。

以下、成願さんの記事です。



現在、最も恐ろしいことは何か?と問われたら、
私は「人々が思考停止でも生きていける社会になること」だと答える。
テレビやSNSから流れてくる情報を疑うことなく受け入れ、口コミを鵜呑みにし、自分で考えることなく、同調圧力に従い、言われたことだけをこなしていても、どうにか生活できてしまう社会である。
夢や希望を持たず、現状維持だけを望む人にとっては、それは楽な生き方なのかもしれない。
しかし、自ら考えることを放棄した人間は、社会や政治にも無関心になりやすく、自分の人生の舵さえ他人に委ねることになる。
私は、それこそが現代社会の最も深刻な問題ではないかと思っている。
建築家の安藤忠雄氏は、自著『安藤忠雄 仕事をつくる』の中で、次のように述べている。
「日本社会再生のカギは、子供達の野生をいかにして取り戻せるかにかかっているだろう。必要なのは甘えた『ゆとり』などというものではない。不安と隣り合わせの、本当の意味で自由な時間と場所を与えることだ。」
私は、この言葉の意味は非常に重いと感じる。
現代は、子どもが退屈する時間さえ、大人が先回りして埋めてしまう時代だ。
泣けばスマホを渡し、暇になればゲームを与え、分からなければすぐ検索する。
便利さそのものが悪いのではない。しかし、それによって自分で考え、工夫し、観察し、失敗し、挑戦する機会まで失ってしまうなら、それは大きな代償ではないだろうか。
私は、洞察力、自立心、工夫する力、判断力、勇気、そして想像力は、そのような「何も与えられない時間」の中でこそ育まれるものだと考えている。
スマホゲームは失敗してもリセットできる。しかし人生にはリセットボタンはない。
だからこそ、幼い頃から失敗し、考え、工夫し、自分の責任で選択する経験が、人間を強くするのである。
興味深いことに、IT業界の経営者や一部の富裕層の中には、自分の子どもにはできるだけ幼少期のPCやスマートフォン利用を遅らせるという教育方針を取る人も少なくない。
デジタル技術の恩恵を最も知る人々ほど、幼少期には偶然性が介在する自然体験や読書、対話、自ら考える時間を重視するという考え方があることは、示唆に富んでいる。
安藤氏がいう「野生」とは、単に自然の中で遊ぶことではない。
自ら欲し、求め、考え、工夫し、自分の力で道を切り開こうとする生命力そのものだと私は理解している。
自然は、人間の思い通りにはならない。
⭕️だからこそ、人は自然の中で観察力を養い、変化を読み、偶然を受け入れ、未来を予測する力を身につけていく。
そうした経験は、人生そのものを生き抜く力へと変わっていく。
🔴飢えを知る子どもは、チャンスに敏感である。
欲しかったものを簡単には手に入れられなかったからこそ、目の前に現れた機会を逃さない。
どうすれば手に入れられるのかを真剣に考え、自ら行動する。
そして、ようやく手にしたものを大切にする。
多くの一流の音楽家や職人、芸術家が、少年時代に必死に働いて初めて道具を手に入れたという話は決して珍しくない。
努力して得たものには、感謝が生まれる。
感謝は執着を生み、その執着がやがて集中力となり、技術を磨き、人生を切り拓く原動力になる。
🔴 画家の岩田専太郎氏は、かつてこう語った。
『自己の明確な意思によって行動するのでないかぎり、意思の確認を怠るかぎり、私は怠け者だというのである。
自分の意思のいかんにかかわらず、与えられた仕事に努力したとしても、それは、水に落ちた者が、溺れまいとするあがきに似ている。』
現代は、学歴だけでは人生が保証される時代ではない。
これからの時代に本当に必要なのは、自分で考え、自分で判断し、自分で仕事をつくり、自分で人生を切り拓く力である。
安藤忠雄氏はこの本で「仕事は与えられるものではなく、つくるもの」と言っている。
まさに、その通りだと思う。
幸いなことに、私は10代、20代の時代、ずっと飢えていた。
だから、今があると思っている。
だから私は、子どもたちに最も与えるべきものは、便利さではなく、「自ら考え、生き抜く力」だと信じている。
親が持つべき勇気は「子供を飢えさせる勇気」だと思う。


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