母・保坂英美子の7回目の命日

2023-08-04 | ほさか式幸せ生活

 7年前2016年の8月4日は甲府ではなく八ヶ岳にいた。別棟(アトリエ)にいた父から朝8時頃だったか、電話がかかってきた。普段、そんなことはない。
電話に出て父の言った言葉が、「お母さんがだめだ」だったか「倒れている」だったか「息をしていない」だったか、覚えていない。

心臓がバクバクした。必死で全速で別棟まで走り、建物に入った。
母がソファに横たわっていた。
確か父は「ダメだよ」と言ってへなへなと座り込んでしまっていた。
呼吸は止まっていた。私は諦めるわけにはいかない。救急車を呼んで、来るまでの間、心臓マッサージをした。
救急車で運ばれ、病院で医師に診てもらったが息を吹き返すことはなかった。
「お母さん!」と大声で何十回も叫んだ。
悪夢だった。信じられなかった。これだけは絶対に起きてはいけない、ということが起きてしまった。
前日まで普通に一緒に志事をしていて元氣だった。まだ73歳で持病も何の前兆もなかった。なぜ、なんで?
まったく予期しない出来事。
何が起こったかわからなかった。
青天の霹靂。現実とは思えない。夢なのか。

ーーー

 でも夢ではありませんでした。
おじさんになっても、いつまでも母の子です。自分を産み育ててくれたのですから、母以上の恩人はいません。男はみんなマザコンです。

 人生で最も辛い衝撃的な出来事でした。心の準備も覚悟もなく、お別れの言葉を交わすことさえできませんでした。7年経った今でも第1位は変わりませんし、死ぬまで順位は変わらないでしょう。店に入ってからは、母であり、最初は志事の先生であり、志事のパートナーでもありました。当時は、心臓をえぐり取られたようで、「母がいないなら、もう生きていても意味がない」とさえ思いました。
働きすぎだったのでしょう。もっと休んでもらったり、ゆっくりさせてあげれば良かった。
私は、世間の目など氣にせず、自分の心に従って生きているのでほとんど後悔することはありませんが、人生最大の後悔です。

 私とは18歳まで18年間一緒に暮らし、最も尊い「無償の愛」を注いでくれました。
母は偉大です。男など敵わない。男は逆立ちしても、出産や母乳をあげたりはできません。
先日辛いことがあったと書きましたが、女性から何時間もお話を伺い私には無い視点でご助言をいただきました。とても有難かったです。最近、私は「女性蔑視」とか「女性の話を聞かない」などのレッテル貼りをされているのですが、とんでもない話で、「女性だから」などと考えることは1ミリもありません。話を受け入れたり、取り入れるかどうかは、内容次第で性別・年齢などまったく関係ありません。炭師の原さんからは、「保坂さんは、私のような年下の人間の話をよく聴きますよね」と言われたばかりです。

 私を叱ったり、ガミガミ言うことはほとんどなく、優しい母でした。山梨に戻る前、東京では内職をして家計を支えていました。穴の開いた靴下を継ぎはぎしてくれたり、美味しいものを作ってくれたり。今でも覚えています。
反抗期はありましたが、あまりグレずに道を外さなかったのは、母が色々としてくれた姿を見ていたからでしょう。若い時は、一時の感情で行動してしまう時があると思いますが、何かあっても「母を裏切るわけにはいかない」という思いで、踏みとどまることができました。

 大学・就職を経て、山梨に戻り店に入り、23年間ほぼ毎日店で一緒に志事をしました。41年間、共に過ごしたことになります。社会人になってからも母と共に時間を過ごせたのは、とても良かったと思います。私が志事を覚え、できるようになって役割分担が確立した店での母とのコンビは最強だと思っていました。
うちは、祖父が歌人の保坂耕人。父が竹の造形美術作家の保坂紀夫。この二人にはメディアのスポットが当たることがありましたが、母・保坂英美子という人物を取り上げられたことはありません。
母は馬鹿がつくほど真面目で、本当に働き者でした。祖父が寝たきりになった時も、家事と店の志事をしながら、お世話をしていました。

 竹の造形美術館の解説ツアーでお話していますが、母なくして、父はあれほどの作品を残すことはできませんでした。父は作家としては偉大ですが、家族は大変でした。普通ならとっくに離婚していたでしょう。でも、父を支え続けました。甲府の店が41年続いているのも、母が小さな努力を積み上げ続けたのが大きな要因です。私がコツコツできるようになったのは、母のおかげです。
いつも取り上げるイチローさんの言葉
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」
この言葉の意味がわかり始めたのは、店が30周年を迎えてからです。やはり、「未体験のことは正しく想像できない」のです。
「ありがとう、お母さん。ゆっくり休んでください。いずれ私もそちらに行きます。この世にいなくとも永遠に私の中で生き続けています。」

8月4日は、毎年ボロボロ泣く日です。

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※一昨日、ノグチさんの展示会の準備のため、初めて松葉杖無しで歩きましたが足が腫れてきました。無謀だったみたいです。もう少し辛抱します。

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