「悟りの法則」 小林正観著

2024-06-16 | ほさか式幸せ生活

昨日に続いて、生き方の学び。以下は、「悟りの法則」から。

未来について心配する必要はありません。
今をひたすらに生きること、今、目の前の人を一所懸命に大事にすること、それ以外に人生はない

「悩み・苦しみ」をどうしたら持たずにいられるのか。「思い通りにしたい」という思いを持つことをやめること。
「こうありたい」「こうであって欲しい」という執着を持たなければ、「不平不満」「愚痴」「泣き言」「悪口」「文句」=「五戒」を言うこともなくなる。

あなたを悩ませる現象があるわけではなくて、あなた自身が悩みをつくって勝手に悩んでいる
自分の思い通りにならないことが問題だ、悩みだと思っているだけ

「強靭な精神力」を持つには「問題を問題と認識しない」こと

すべてのことに関して、「氣にならない人」になったら、問題は全部解決する
相手を変える必要なんかどこにもない。その人を認めて、自分が「氣にならない人」になったら、それで終わり
その人の良いところも悪いところも踏まえたうえで、すべて受け入れてしまえばいい。
自分の心を広げる。寛容度を高め、許容量を増やす。

人間の生きる目的とは、生きている間にどう喜ばれるかだけ。

夫婦で喧嘩をする人は、お互いに感謝が足りない

お金と仕事の問題は、「掃除」をしていればなくなってしまう。
体と健康の問題は、「笑って」いればいい。
人間関係については、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

「人間を磨く」 田坂広志著

2024-06-15 | ほさか式幸せ生活

生き方を学ぶために、色々な本を読んでいます。
以下は、「人間を磨く」から。

古典からは「理想的人間像」ではなく、「具体的修行法」を学ぶ

我々が目指すべきは、自分の中に「幾つもの人格」を見出し、育てること。仕事や生活の場面や状況に応じて、適切に切り替える能力を磨いていくこと。

人間関係が好転する「心の技法」 「七つの技法」
1、心の中で自分の非を認める
2、自分から声をかけ、目を合わせる
3、心の中の「小さなエゴ」を見つめる
4、その相手を好きになろうと思う
5、言葉の怖さを知り、言葉の力を活かす
6、別れても心の関係を絶たない
7、その出会いの意味を深く考える

人は、自分の非を認めず、欠点を認めず、自分には非がない、欠点が無いと思い込むとき、周りの人の心は離れていく

人間関係がおかしくなる時は、必ず互いに「相手に非がある」「自分には非がない」と思っているから

コミュニケーションは、「言葉」で伝わるのが「2割」、表情・眼差し・仕草・身振り・態度・雰囲気など「言葉以外」が8割。

「学歴」は、受験戦争を勝ち抜いて獲得されるものであるため、競争に勝ち続けても、常にさらに上位の競争に巻き込まれ、他者との比較の世界に置かれ続ける。そのため、常に「敗者となる不安」が心の奥深くに広がり、決して「本当の自信」は得られない。

人間、自分に本当の強さがないと感謝ができない。

心が強くなければ、心が弱っている時は、相手に対して「こうして欲しい」「なぜ、こうしてくれないのか」といった要求や不満の思いを抱くだけで、その相手に対して感謝の思いを抱くことはできない

「謙虚さ」の修行を続けていると、自然に「本当の自信」が身についてくる
「感謝」の修行を続けていると、自然に「本当の強さ」が身についてくる

メンバーを好きになることが最初の大切な仕事。部署やチームで良い仕事をしようとするならば、必ず求められる大切な心構え

人を好きになる努力をしていると、好き嫌いというのは、変えがたい「感情の問題」ではなく、努力次第で変えられる「意志の問題」

人間関係がおかしくなる時は、心の深くで、相手と「正対」せず、「斜に構えて」見ている。「あの人はああいう人だから」「この人は、どうしてこうなんだろう」「所詮、言ってもわからないから」「もう無理だろう」といった冷笑的な眼差しや皮肉な眼差しで相手を見ている

「正対」できないのは、根拠のない思い込みがあるから。互いに心の奥深くが分かっているわけではないのに、分かっていると思い込む。自分の勝手な「思い込み」で相手を見る。
最初に行うべきことは、思い込みを捨て、相手の声に耳を傾けること。

相手に正対する、とは、「相手を1人の人間として敬意を持って接する」こと

嫌いな相手を感情的に非難すると、ますますその相手に対して攻撃的になる

我々の心は、誰かを感情的に批判や非難したり、誰かの悪口や陰口を言うと、その人をますます嫌いになっていく

「好きではない人間を好きになろうとする」ことは難しくない。相手の孤独や寂しさを見つめること。

愛情とは相手との関係を絶たぬこと
愛情の反対語は「無関心」

問いに正しく答えを出し、出会いの意味、出来事の意味を正しく解釈すると、自然に目の前の問題が解決していく。
問われているのは、解決力ではなく、「人生の解釈力」



「武士道」 新渡戸稲造著

2024-05-27 | ほさか式幸せ生活

寺子屋を運営し始めて4年目。本業とは違う未経験の教育分野で、私自身の勉強不足・力不足や未熟さを思い知らされてきたわけですが、この間に色々な方々のお話を伺って勉強をさせていただく中で、現代日本の問題点をご教示いただいたり、私自身も感じることがありました。

前回も「葉隠入門」をご紹介したところですが、「武士道」を書いた新渡戸稲造は旧5000円札の偉人で、皆さんご存知と思います。
日本で失われた最大のものは、
長い年月の間に積み重ねられた先人の智慧である東洋・日本人の精神性・思想哲学、具体的に言えば、武士道精神、ならぬものはならぬ等の規範、利他の精神、忍耐力などではないかと思います。
一般論として家庭教育において、甘やかし・過保護・贅沢・自由を履き違えた(うちも他人のことは言えません)ことにより、何でもあり、我儘、「今だけ、金だけ、自分だけ」の社会になったのでしょうが、まだ炎は完全に消えたわけではなく、私達の心の中に生きていると思いますし、大人全員が諦めたら、支配者の思惑通りに日本という世界で最も長い歴史を誇る価値ある国家は終わり、消滅するでしょう。

どういう社会になるか、日々起こることは、つまるところ私達一人ひとり=あなたの考えや在り方・行動・選択で決まります。大人が氣付き、在り方・行動・選択を変えることができれば引っくり返すことができますので、その方法を講演会でお伝えしています。幸福に生きられるか、幸福な社会を作れるかは、誰でもなく自分自身にかかっている=自分の責任と認識しているかどうか、が重要だと思います。

「時代錯誤だ」というご批判を受けるかもしれませんが、「葉隠入門」の教えに習い、本日これが最後の日と思い、「武士道」の中から印象に残ったところをご紹介します。

『多くの少年は、親の家の敷居から踏み出す時、世の中で名を成すまでは再びこれをまたぐまいと心に誓った。そして多くの望みを抱いた母親は、息子達が、諺に言う「故郷に錦を飾る」のでなければ、再び会おうとしなかった。恥を免れ、名を得るためなら、サムライの少年達はどのような欠乏をも耐え忍び、精神的、肉体的苦痛のもっとも苛酷な試練にも耐えた』
→現役の小学校の先生にお話を伺うと、今の子の忍耐力の無さを指摘する声をよく聞きます。子ども達がすぐに折れてしまったり、心が弱くなっているのは事実だろうと思います。
私は、「我慢は不要で、辛抱や忍耐は必要」だと考えています。
「我慢しなくていいところで我慢してしまい(声をあげるべき時に声をあげず)、辛抱すべき・耐えるべきときに辛抱・耐えられない」となっているように思います。


『「憂きことのなほこの上に積もれし 限りある身の力ためさん
(もっともっと辛いことが我が身に降りかかれ!私の力の限界を試してやろう)」(武士・山中鹿之助)
そう、武士道の教えるところはこれであった。忍耐とくもりのない良心であらゆる困難に抵抗し、耐えよ。孟子が説くように、「天の将に大任をその人に降ろさんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚をうえしめ、その身を空乏し、行いそのなすところを払乱せしむ。心を動かし、性を忍び、そのあたわざるところを増益せしむる所以なり(天がまさに大任を人に降ろそうとする時、必ずまずその心を苦しめ、その筋骨をさいなみ、その体膚を餓えさせ、その人が行おうとしていることを混乱させる。そうして心を刺激し、性質を鍛え、できないことを可能にさせるのである」ということである。
 真の名誉は、天命を成就することにあり、それを全うしようとして招いた死は決して不名誉ではない。これに反して、天が与えようとするものを避けるための死は、じつに卑怯である!
 トーマス・ブラウンの奇書「医道宗教」の中に、日本の武士道が繰り返し教えていることとまったく同じことを意味する言葉がある。
「死を軽んずるのは勇気の行為である。しかし、生が死よりもさらに怖ろしい場合には、あえて生きることが真の勇気である」』
孟子が説く・・・は、まさに昨年・今年と寺子屋の活動に取り組む私に起きたことだと感じました

『「負けるが勝ち」という良く知られた諺があるが、真の勝利は無分別な相手に抵抗しないことにあるという意味』

『かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂
(こう行動すれば、死ぬことになることを知っていながら、私をその行動に駆り立てたのは大和魂である)』吉田松陰が処刑前夜に詠んだ歌
2020年の感染騒動からは、この歌と同じ想いで、身の危険や本業ができなくなることも覚悟の上で発信や講演を続けてきました。私は、吉田松陰には遠く及ばない人間で、力も影響力もないので、まだ生かされていますので、生(命)あるうちは、微力でも行動・実践を続けていきます。

『「日本人以上に忠義に厚く愛国心のある国民があろうか」とは多くの人が発する質問』
→かつてはこうでしたが、今は世界でも異常に愛国心が無い国民になりました。

『現在のわれわれの使命は、この遺産(武士道)を守って古い精神を損なわないことであり、未来における使命は、人生のすべての行動と諸関係に応用していくこと』
→私達はこれと逆のことをやってきたのではないでしょうか?

以下は、巻末の山本博文氏の解説より

『16世紀に3度日本を訪れたイエスズ会巡察師ヴァリニャーノは、「日本人は、全世界で最も面目と名誉を重んじる国民であると思われる」「彼らはあらゆる苦しみに堪えることができるし、逆境にあっても大いなる勇気を示すことを信条としている」と書いている』

『本書は、武士道書というより、日本的思考の枠組みを外国人に対して示した優れた日本文化論。日本人が初めて自分で日本文化の特質を意識化した記念碑的作品』

『多くの人が、日々押し付けられる欧米流の論理に疑問を持ち始めている。それがなぜなのかを理解し、日本人の思考様式を自覚するために、本書はこれからも読み継がれ、分析されていく必要がある』



大東亜戦争を経験し、欧米諸国が日本に対して一番恐れを抱いたのは、武士道に代表される日本人の精神(強い精神力・忍耐力など)と歴史・傳統だったのでしょう。だからこそ、焚書を行い、自虐的な歴史観を植え付け、精神を骨抜きにし、日本の価値あるもの=本物を捨てさせ、全分野で欧米化する、日本人の愚民化(義務教育・3S政策←今もスマホ・ゲームで継続中、など)という政策・戦略を実行し、見事に成功したと言えるでしょう。逆に言えば、まんまと嵌ってしまった、ということです。
デジタル化推進により、
①若者が長文や本を読めなくなった、読まなくなった
②子どもがデジタル・スクリーン依存・中毒になり、脳の発達が止まるだけではなく、老化している例もある
のは致命的で深刻な問題だと思います。

講演会でもお傳えしているように
・日本のものは駄目で、欧米のものが優れている
・日本は遅れていて、欧米が進んでいる
・古いものは駄目で、新しいものが良い(大企業が新しいものを売るための戦略が大半)
という洗脳がGHQの占領から今日まで徹底的になされました。
実際は、炭師の原さんが仰るとおり、「世界最高のものはすべて日本にある」と私も思っていますが。

横文字のほうが恰好いい、金髪のほうが恰好いい、などというのは、私からすればとても恰好が悪いことで、自国の言葉や自分が生まれ持ったものに誇りを持てていない象徴的なことだと思うので、髪を染めたことは一度もありません。

よく現代日本人は「江戸時代に戻るのか!」と過去を否定したり、馬鹿にしますが、江戸後期のほうが今よりもずっと自然で循環型でエコで幸福で困っている人が少ない社会だったことは、以前ご紹介した「逝きし日の面影」にこれでもかというくらい記されてます。

そんなご時勢の中、寺子屋を補助も助成も無しで継続するのは至難の業ですが、吉田松陰が松下村塾を創ったように、日本存亡の危機から日本・子ども達を守るためには、寺子屋が必要であり、全国に寺子屋ができるきっかけにもなれば、という大志を抱いて、素人の無謀な挑戦だったかもしれませんが3年前に寺子屋を立ち上げ続けてきました。

今年からは財政的に非常に厳しくなり、ご寄付をいただけなければここまで続けてこられなかったでしょう。ご寄付いただいた皆様には感謝・感謝・感謝。現在もご寄付を募集中です。

森のピッコロようちえんの中島さんも、「立ち上げてから最初の数年は何回泣いたことか」、まあるい学校も「一旦休んだこともあった」ということで、最初は苦労するのが当然なのでしょう。

参考に動画も載せておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=QyzuNB9BqyI


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